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疑問 質問 Q&A

各地で開催されております『桃山志野現代に焼く』藤田登太郎茶陶展の会場では、ご来場のお客様にメッセージ欄を設けました「芳名カード」をご用意させていただいております。皆様にはご意見やご感想の他にご質問も多数お寄せいただいておりますので、藤田先生にお伺いいたしましてQ&Aというかたちで掲載させていただきました。

                                    

Q- 様々な造形、古作の雰囲気の抹茶茶碗がたくさん並んでいました。お一人で作られたと聞いて驚きました。

A- 全部、私が焼いた茶碗です。井戸茶碗などの開き茶碗は二十歳代の作品で六十年ぐらいは経っているので古いと言えば古いです。その後、様々なご縁をいただき志野焼きに転向しました。

 

Q- こんなにたくさんの志野茶碗を見たのは初めてでした。大きさや形、色合いなどがそれぞれに違うのはなぜですか?
A- 茶陶展では志野茶碗を中心に三十碗ほどの抹茶茶碗を展示しています。志野茶碗の雰囲気が異なるのは、それぞれ違う窯から出てきたものだからです。窯には三百から四百個入れて焼きますが納得のいくものは一つか二つで、他は志野になっていません。今までに四百回ほど窯焚きをしましたが、その殆どが失敗です。

 

Q- 抹茶茶碗しか焼かないのは、なぜですか?
A- 私も最初は皿や鉢などを焼いていました。志野茶碗を作りはじめた時に同じ種類のものだけを轆轤挽きしないといけないということに気が付きました。頭ではなく手が覚えて勝手に轆轤が挽けるようになるまで鍛錬し、それを忘れないことが肝心です。特に徳利は同軸回転なので茶碗が挽けなくなってしまいます。同様に、焼く時も同じ種類のものだけを窯に入れるようにします。大小様々なものを取り混ぜて入れると焦点が明確にならず良いものは焼けません。

 

Q- 「お手に取ってご覧ください。」と声を掛けていただきました。
A- 実際に使用していただくものですから、重さや手触りなどを体感していただきたいと思っています。私の志野茶碗は二週間も焼いているので見た目より堅く焼きしまっています。割れ無い自信がありますし、もし割れたとしてもその茶碗の運命だったと思えます。作った本人が開催するからこそ可能な展示方法です。ただ、大切なものとの認識をもっていただくために、お客様には「指輪を外して両手でお持ちください。」とお願いしています。

 

Q- 藤田先生の志野ぐい呑は志野茶碗を焼くための道具の一つだと聞きましたが。
A-  志野茶碗を焼く時はサヤの中に茶碗を入れ、茶碗の中にぐい呑を入れます。その三重構造になったものを積み重ねて窯に入れるので志野ぐい呑は志野茶碗を焼くための道具としての役割を担っています。志野ぐい呑みが志野茶碗の造形に似ているのは、より良い志野茶碗を焼くためにぐい呑で練習しているからです。

 

Q- 桃山志野と現代志野の違いは何ですか?
A-  土や釉薬などの陶材が違うので当然、肌や雰囲気も異なります。窯焚きも現代のようにガスや電気が無い時代なので薪で焚くしかありません。私は自分で探し出した百草土の原土で粘土を作り、同じく自分で探し出した志野石(千倉石)を釉薬に用いています。カリ系のペグマタイトという砂で二週間もの長いあいだ薪を焚き続けるわけですから土も育つし炎の色も茶碗にうつります。一般に市販されている粘土は扱いやすいように調整がとられているものが多く、長石はソーダ系の石なので火を避ける性質があります。したがって、何日間焼いても火色は付きません。不透明で牛乳のような白い仕上がりになります。

 

Q- 二週間焚かないと志野にならないというのはなぜですか?
A- 私の焼く志野は土(百草土)、釉薬(千倉石)ともに自分で採取したものばかりなので手本が無く、窯焚きは長年の経験だけです。油脂分の枯れきった薪(赤松)に火をつけ、一日に百度以内のゆっくりとした窯焚きをします。煙突から白い蒸気が消えるまでは温度を上げません。私の用いている百草土には木や草の炭化物がたくさん混じっているため、その炭化物を低温で何日もかけて焼かないと志野特有の綺麗な肌にはならないのです。そして、釉薬であるカリ系の千倉石を溶かすため最終的には窯内の温度を千四百三十度(サヤ内は千三百五十度ぐらい)まで上げます。結局、釉薬が溶けるまで何日間でも焚かなければならないということです。季節や天候、気圧、薪の状態などがその都度異なるため同じ条件で窯を焚くことは出来ません。「もう少し、もう少し」と日延べしながら四週間も焚いたという自己最長記録があります。

 

Q- なぜ、二週間も焚けるのですか?
A- 一人で焚くため試行錯誤した結果、赤松の丸太(購入する時に直径や長さを指定)を用いるようになりました。丸太なら二十分くらいは寝られますから。

 

Q- 藤田先生の志野茶碗は他の作家さんのお茶碗よりも大きいように思いますが。
A- 桃山期の志野茶碗と同じくらいのサイズです。戦乱の世、戦国武将に流行ったのが茶の湯でした。したがって、その時代に抹茶を飲んでいたのは男性です。大きな茶碗で濃茶を練り回し飲みしていたと推測できます。

 

Q- お茶碗のバランスの良し悪しについて教えてください。 
A- 私が言う「茶碗のバランスが良い」とは、本体と高台との比率や左右対称で綺麗ということでは無いのです。茶碗の本体が主役だとすると高台は女房役です。主役を補佐する立場にある女房役はあまりでしゃばらず主役を立てることを基本とし、主役と女房役の絶妙なバランスが重要だと考えます。端正な本体には愛おしさが感じられるような高台、羽目を外した本体にはしっかり者のような高台というように、その本体のもつ雰囲気を最大限に活かせる高台を瞬時に見極め、思ったとおりに手早く削れることが重要だと思っています。

 

Q- 藤田先生の志野の貫入が釉面の下に入っているのはなぜですか?
A- 素地と釉の膨張率の差などによって釉面に細かいひびの入った状態を貫入と呼びますが、私の焼いた志野の貫入は百草土と釉薬の間に入っていますので、その表面はガラス質でツルツルしています。その珍しい現象に興味を持たれた焼きものに詳しい方をはじめ研究者の間でも様々な見解が挙がりましたが、結局は憶測の域は出ず未だ謎のままです。こういう理解できない現象を「自然の成せる業」というのでしょうか。ただ、一般的に貫入と呼ばれるものと私の焼いた志野に出来る貫入とはあきらかに異なりますが、例えようがないため「貫入」という言葉を使っています。

 

Q- 独特で個性的な線書きや絵が面白かったです。
A- 単に線やアクセントを付けているのではなく、申し分のない造形だと思えるものには何も加えず無地志野にします。どこか弱いところがある造形に対しては瞬時に見極め線やアクセントを加えてバランスをとっています。絵志野には物語があり、手に持ってクルクルと回しながら絵を描きます。

 

Q- 志野茶碗の目痕は、どのようにして付けられているのですか?
A- 直接重ねて焼く井戸茶碗などの開き茶碗とは異なり志野茶碗を焼く時は内側からぐい呑、茶碗、サヤと三重構造になったものを積み重ねて窯に入れ焼きますが、その茶碗とぐい呑がくっつかないようにハマコロというものを間に入れています。粘土で作るそのハマコロは丸くて薄い煎餅(ドーナツ形のものなどもある)みたいなものに小さくて尖った足が三つ〜五つぐらい付いています。志野茶碗の見込み内に見られる目痕はハマコロの足が触れていた箇所です。

 

Q- 藤田先生は桃山時代の志野茶碗の再興に成功したと思われますか?
A- もう何十年も前になりますが、東京大学の史料編纂所という機関で詳しく調べてもらったことがあります。その時に、成分的には間違いなく桃山志野であるとの結果をいただいております。ですから、自信を持って「桃山志野現代に焼く」を使っています。
桃山志野は桃山期に既に完成された焼きものですが継承されておらず、当然教えてくれる人はいませんでした。何もかもが手探りで焼いて来ましたが『桃山志野現代素に焼く』のとおり、桃山時代の陶工たちが現代に生きていたら創出されたかも知れない志野を焼いているのであって、決して桃山時代の物真似をしているわけではありません。

 

Q- 藤田先生の志野には金華山志野というお茶碗やぐい呑がありますが、どういったものですか?
A- 私が金華山志野と呼ぶ茶碗やぐい呑は偶然が生んだ私独自のやきものですが、焼けた数は少なく今となっては手元にもあまり残っていません。何十年も前の話ですが、三百年に一度という岐阜城のお堀の土をさらえていた作業現場に偶然行き当り愛媛県の工房までまで大型トラックで運んでもらい試しに焼いてみたところ、真っ黒に焼けたため焼きものには適していないと判断し全部捨ててしまいました。その後、志野茶碗を焼いた時に金窯変の起こった渋い肌合いの茶碗が焼けたのです。その志野茶碗の高台を見ると少し黒味がかっており百草土のものとはあきらかに異なっていました。百草土と金華山の土は見た目がよく似ていたので何%か混ざっていたのだと、その時に初めて気が付きました。焼くと金窯変を起す理由は、大昔に海にいたという放散虫などの二酸化ケイ素の殻をもつ生物の死骸が金華山の土に入っていたのではないかと推察します。本来チャートと呼ばれる非常に硬い岩石で層状をなすことが多いので砕くなどして釉薬として使用することは困難ですが、長い年月を経て淘汰されものが奇跡的に入手できたのだと思っています。しかし、その土は既に手元に無いので焼きたくても焼けないのが現状です。

 

Q- 志野水指を前に、口造りがパイプ状になっているところが珍しいとお客様同士が会話していましたが?
A- 志野の水指は何十年も前に焼いたもので現在は手元にもあまり残っていません。志野茶碗同様に百草土の原土(粘りの無い土)を用いているので茶碗を挽くことも難しいのに、三十センチ近くも轆轤で挽き上げること自体が至難の業です。更に、その挽き上げた粘土をクルッと内側に巻き込みパイプ状にして口造りを仕上げます。茶道に精通されました方からは「水が入らないので汚れない」と口造りの始末を褒めていただいております。

 

Q- 李朝挽きというのはどういったものなのですか?
A- 井戸茶碗を轆轤挽きする際に昔から用いられていた手法です。縄を綯うように挽くので内側と外側の回転が反対(同軸回転をしていない)になります。その際、内側の轆轤目を外側へ向かって押し出すようにするため、外側の轆轤目のうねりが大らかで優しい雰囲気になります。実際、茶陶展で「李朝挽きをされていますか?」と尋ねられ李朝挽きを知っている人がいることに驚きました。しかし李朝挽きも手が柔軟だった若い頃には可能でしたが、年を重ねるにつれ指先が充分に反らなくなったので挽かなくなりました。

 

Q- 志野のぐい呑の高台を見て「これは一番土、これは二番土。」と皆さんがぐい吞談義をしていましたが、どういった土のことですか?
A- 私は用途(志野茶碗、志野ぐい呑)によって百草土を使い分けています。百草土の原土を一番土と呼び茶碗を挽きます。充分過ぎるほど焼けているにもかかわらずザックリとした土味で大らかな雰囲気、発色の良い志野茶碗になります。そしてその一番土を練りかえしたものを二番土、再び練り返したものを三番土と呼びぐい呑にします。茶碗の中に入れ、二週間も焼かれるためよく焼締まりぐい呑に適しています。志野を焼く場合、茶碗の中にぐい呑を入れますが、ぐい呑の個数が足らない時に急きょ茶碗と同じ土を使ってぐい呑を作ることがあります。それが一番土の志野ぐい呑で白くてスベスベとした土味の高台になります。

 

Q- 志野茶碗に比べて、瀬戸黒茶碗に二重高台が多いのは何故ですか?
A- 二重高台を削り出すことはたいへん難しいので瀬戸黒茶碗の成形時にその練習をしていました。ですから志野茶碗よりは瀬戸黒茶碗に二重高台が多いのです。ぐい呑みの形が茶碗の形に似ているのも練習で、すべてはより良い志野茶碗を焼くことを中心に考えています。

 

Q- 道具も手作りされるとお聞きしました。粘土を削る木箆も手作りなのですね。
A- 使い勝手を追求すると、やはり手作りに勝るものはありません。箆の材は赤松の割り木で、木目をよんで刃の付け方や向きなどを考えて削ります。木の箆は切るのではなく土を分けるためにある道具なので、削り出した刃そのものよりも、その周辺の白いところが重要なのです。刃の周辺は水気を吸うと直ぐに土が切れなくなってしまうので、数もたくさん必要です。私の木箆を見て箆作りに挑戦した人が何人かいましたが完成には至らなかったようです。

 

Q- 志野の湯呑みを探しています。藤田先生は湯呑は焼かれないのですか。
A- 他のものを単独で焼くことはありません。志野茶碗を焼く時には、サヤ、志野茶碗、志野ぐい呑と三重構造でサヤ詰めをするため、志野茶碗の中に入るサイズものしか焼くことができません。しかし、私のぐい呑は大ぶりなものも多いので湯呑として使っている人もいます。

 

Q- 写真、絵、書、和歌、茶杓を削られたりと多才ですが茶碗作りに必要ですか?(若い陶芸家さんよりのご質問)
A- 私は集中力が続かないことを自分自身がよく知っています。ですから、轆轤挽きや成形などの窯仕事に飽きると直ぐに他のことをしていました。陶芸に限らず物作りをされる方は、良し悪しを自分自身で見極められる目(感覚)を養うことが必要なので独り遊びは必要だと思います。写真、絵、書、和歌など、それぞれの目(視点)で観察することによって新たな発見や思いもよらない発想が閃いたりすることがあります。

 

 

2020年6月 更新

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